2026.03.07
【ユニットエピソード】ヨウコウノエル
綺麗に敷かれたレールがある。
そこを歩いて行けば、確実に成功するのは目に見えている。
不安も全部誰かが取り払ってくれる、完璧な人生。
そんなものがあるとして、その上をただ転がっていく人生は、本当に、僕が生きたものだと言い切れるんだろうか。
放課後。
進路相談室に顔を出すと、先生は意外そうにこちらを見た。
「えぇっと……羽雛くん? 誰か先生を探しに来てる?」
「あ、いえ! そうじゃなくて……進路相談したいな、って、思ったんです」
先生は目を丸くした。
「進路? 羽雛くんが?」
「はい」
「……そうかぁ……」
先生はかなり渋い顔をしつつ、僕をソファに座るよう促した。
「えぇと……進路相談ってことは……ご実家のお仕事を継ぎたくはない、ってことかな?」
「それとはちょっと違うんですけど……えーっと、なんていうか……」
先生を納得させられるような言葉を探す。
「うちの一族がやってる仕事も、グループのことも、嫌いじゃないんです。両親のことも、親族のことも、すごいって思うし、尊敬してます。けど、それはそれで、なんていうか……」
思い切って、言葉をぶつけてみる。
「──それ、俺がやる意味ってあるのかな、って、思っちゃって」
先生は面食らったような顔をした。
「えっ? それ、どういうこと?」
「つまり、えっと……」
「意味は、ちゃんとあるんじゃないかな……?」
「……その……」
だんだん気まずくなってくる。
先生はいい人だけど、大人を説得する、って、やっぱり難しい。
(プレゼンとか用意しておいた方がよかったのかなぁ……。『人を説得するときは準備が8割ですよ』ってカナメさん言ってたしなぁ……)
脳内カナメさんがニコニコと微笑む。
後悔に顔を歪めていると、先生が口を開いた。
「ご実家の事業については、羽雛くんだって、立派だって思ってるんだよね」
「……それは、そう、ですけど……。なんていうか、俺はただ、この家に生まれちゃっただけで、他の家に生まれてたらきっともっと別の生き方の選択肢があったんじゃないかなって、思うんですけど」
「なるほど……?」
「その……この家に生まれたら、誰だって後継者になれて……でも俺は、俺にしか出来ない生き方みたいな、自分の意味みたいなのを、もっと、探してみたくって……」
先生は僕の話をじっくり聞いてくれた。でも、僕の言葉は、全部空降りしていた。
僕は実家を継ぐべき、という先生の結論は、結局、最後まで揺らがなかった。
「……ありがとうございました」
そこそこのところで切り上げて、進路指導室を後にする。
入れ替わりで、別の子が指導室に入っていった。相談内容が、ちらりと聞こえる。
「夏にパパがやってる施設で短期インターンしたいんですけど、学校の課題とどう両立したらいいか分からなくて……あと、これってアルバイト申請必要ですか?」
そう相談する声は、どこか明るく弾んで聞こえる。先生の応答も、さっきまでと違って前のめりで乗り気だった。
(……いいなぁ。楽しそう)
と、素直に思う。
一方で、ちゃんと理解もしていた。
ここは、後継者を育てるための学校だ。そこで働く先生が跡継ぎ以外の道を指南したら、それはそれで問題になってしまう。
(『人は自らの役割に根ざしてのみ他者との人間関係を構築するものです』って、カナメさんも言ってたし……先生の役割が、跡継ぎ育成ってことなら……そこから外れた相談は、最初から無理だった、ってことだよね……)
またしても脳内カナメさんがニッコリと頷く。
(けど……それはそれでなんか……ヘコむっていうか……行く先、わかんなくなっちゃうっていうか……)
ちょっとだけ、肩が落ちるのが分かった。
僕はただ、この枠の外を知りたかった。僕が何者なのか、大人の目からもっと、一緒に探してほしかった。
(……だけど……。そんな人、僕の周りにはいない、ってことなのかなぁ……)
荷物をまとめて、とぼとぼと駐車場を目指す。
カナメさんは、いつも通りの場所に車を止めて待っていた。
「お帰りなさいませ、坊ちゃん。……何か、嫌なことでもありましたか?」
進路のことを、打ち明けようかと思った口が、一度止まった。
カナメさんは、相談相手として正しいんだろうか。
(先生とのやりとりの二の舞になるのは、ちょっとイヤだしなぁ……)
少し考えを巡らせてから、口を開き直す。
「あのさ……。カナメさんの役割って、なに?」
「坊ちゃんのサポートですよ。坊ちゃんが望むことを、望むように叶える。それが私の務めです」
カナメさんはよどみなく答えた。
「私の給与はお父様からお支払いいただいておりますが、業務内容は坊ちゃんの生活のサポートです。学業支援が主ではありますが、それとは別に、坊ちゃんのお願いを聞く裁量は、ある程度持たせていただいておりますよ」
「……じゃあ、俺の話、何でも聞いてくれる?」
「私の裁量で叶うことでしたら」
束の間、考えた。
「……じゃあ……その……。ちょっと、気晴らししたくて……」
ぐるぐると考える。カナメさんの裁量で実現可能で、かつ、カナメさんを説得しやすい形は、何だろう。
「……パフェとか、食べに行きたい、かも」
これならきっと叶えてくれる。イヤそうな顔はされないだろう。
そう思ったのに……カナメさんは少し顔を曇らせた。
「パフェ、ですか」
「……ダメ、だった?」
「いえ。それが本心なら構いませんが……」
カナメさんは、ふぅ、と小さく息を吐いた。
「……それが本当に、坊ちゃんの願いですか?」
「え」
「本心をお聞かせください。……私の前では、気を遣って小さくまとまろうとしなくて良いんですよ」
その言葉に、胸が高鳴る。
期待を、してしまう。
「あのね、カナメさん」
勇気を出して、口を開いた。
「俺、ホントは……今日は、すっごく遠くに行ってみたい。俺が、羽雛シオン、ってことが、意味なくなっちゃうぐらい、すっごく遠くに、行っちゃいたい気分なんだ」
言ってしまってから、しまった、と思った。うまく形にする前の言葉が、ぽろっと出てしまった。
(ちゃんと説明して、きちんと意味や価値を伝えないと、大人は力になってくれないって、痛感したばっかりなのに……)
「だから、その、つまり……」
僕が分かりやすい言葉を探しているうちに、車のエンジンがどぅるんと音を立てた。
カナメさんはもう、ハンドルに手をかけている。
「……カナメさん?」
ルームミラー越しに見たカナメさんは、面白がるようにニコッと微笑んだ。
「かしこまりました。では、お連れしましょう」
「で、でも、行く先とか、俺、ちゃんと説明できてないのに……」
「冒険したいのでしょう。でしたら、何も知らないままそちらに座っていてください」
「……いいの?」
「えぇ。それが坊ちゃんの願いなら」
そう言うと、カナメさんはなめらかに車を出し、ナビも使わず高速に乗った。
後ろへびゅんびゅん流れていく景色を見ているうち、胸のつかえが下りていく気がした。
知らない景色を眺めているうち、緊張がほどけてきた。
代わりに、また心臓がドキドキしてきた。
さっきまでとは違って、体がぽかぽかと温かくなるような、駆け出したくなるような……ワクワクを乗せた、胸の高鳴り。
もしかしたら、カナメさんとなら、レールの向こうにも飛び出していけるのかもしれない。僕が、僕を探しに行っても、許されるのかもしれない。
「ねぇ、カナメさん」
「はい」
「……ありがと」
カナメさんは、少し面食らった顔をした。それからまたニコリと微笑んだ。
「お安い御用ですよ、坊ちゃん」

著:佐久田 葉