2026.03.10
【バイスタンダーエピソード】『かつての映し鏡』

イザナくんは、結局のところ誠実な人間なんだろう。
バイトに遅れてきたことはないし、仕事の中で手を抜いている様子もない。誰かがピンチになると、我先に駆けつけてしまうところもある。
だけどそんな性分を人に見抜かれたり評価されることは、苦手なようで、先日「いつもありがとう、助かってるよ」と感謝したら、苦虫を噛みつぶしたような顔で、自分はただバイトとしての役割を果たしているに過ぎないのだということを強調された。
好かれるのがイヤ……というより、誰かとの距離が縮むことが怖いんだろう。
昔の自分と似ている、と最初は思ったが、そのうち違うと気付いた。
わざと人に好かれないようにトゲを出してはみるものの、相手を本質的に傷付けるまでは至らない。それが自分とイザナくんの決定的な違いだった。
彼には優しさがある。傷の痛みがどのようなものか、理解してしまっている。手心、というと違うかもしれないが、誰かが負う傷への配慮を、結局はやめられない子なのだ。
もし過去の自分に彼のような配慮が備わっていれば、人生の後悔はもっと少なかったかもしれない。
決して一線を越えてこようとしない彼との距離感は、多くを語ったり打ち明けたりしたくない自分には心地よい。
ただ、彼が時折見せる聡明さは、自分にとって脅威でもあった。
ある日イザナくんに、不意打ちのように問われたことがある。何か自分に対して後ろめたいことがあるのか、何か自分が関わるようなことでミスでもあったのか、と。その時は、バイト代の手続きが少し滞っているといってはぐらかした。それで納得してくれたからコトは済んだが、内心冷や汗をかいていた。
踏み込まれてしまっては困ることが、大人には多い。彼はそれを理解してくれていると思って、油断していた。だが、彼は……そう、結局は誠実なのだ。首を突っ込むべきじゃないと理解していてなお、その一線をあえて踏み越えてくる瞬間がある。
まったく、厄介な性分だ。
叶うなら、彼とはこのまま、つかず離れずでいたかった。きっと彼も、そう望んでいるはずだ。彼の有能さは理解しているし、人材としてそばにいてくれると頼もしい。
大人として、つい手を差し伸べたくなってしまう瞬間もある。誰にだって反抗期はあるし、誰だって、心の葛藤をうまくいなせるわけじゃない。矛盾に苦しむ彼に、本来誰かがそうしてくれていたように、自分が力になってやりたいとも思う。
そう思ったところで、思わず自嘲した。
自分に何が償えるだろう。秘密を抱えたまま近寄られることを恐れていて、どう力になるというんだろう。
聡い彼に、絶対に知られるわけにはいかない。この秘密がある限り、自分はイザナくんに踏み込んでも、踏み込まれてもいけない。
どれだけ彼を案じていようと、知られてはならない。
今更取り返しなんてつかないと、分かっているはずだったのに、それでもわずかに、胸が痛んだ。
著:佐久田 葉