2026.03.14
【WD限定ノベル】三条ユウヤ
「…………あぁ、も………ほんま…………どないしよ……」
そんなことを呟いて、かれこれ結構な時間が経っていた。
目の前には、チョコレートボックスが置いてある。
アキラがバレンタインにくれたものだ。ちょっとずつ食べていくうちに順調に中身は減っていき、ホワイトデー間近のこの日、とうとう、空っぽになった。
それだけに、いよいよ、ホワイトデーを意識せずにはいられなくなる。
生まれてこの方、ことバレンタインにおいては比較的チヤホヤされてきて育った自覚はあった。
書道教室には女の子も多かったから自然と女子友だちも増えたし、今でも祖母の書道教室の生徒さんやら、書家仲間やらからは毎年それなりのバレンタインをもらう。
そもそも自分の人間関係は、義理と礼を欠かした人間がやっていけるほど、野放図な世界ではない。
季節ごとの挨拶に始まり、折に触れての贈答はお作法だ。
だから贈り物には慣れていたし、返礼するのもお茶の子さいさいだった。
だが。
だが。
長年心の支えに聞いてきたラジオパーソナリティから、バレンタインチョコをプレゼントされるなんて、さすがに想定外だった。
「あぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
と頭を抱えて突っ伏した机には、書き損じのお葉書メモが、うずたかく積まれていた。
長いことハガキ職人を続けていていたが、バレンタインショックのあとはろくに内容がまとまらなかった。
「ほんま……アイツほんま……あぁ〜〜〜〜〜〜〜も〜〜〜〜〜〜……!!」
アキラとアキちゃんは別人だ。
茶円アキラは輪読会のメンバー。アキちゃんはラジオパーソナリティ。
で、二人は、たまたま声がとてもよく似ているだけの別人。
そう思うことで心の安寧を保ってきた。
だから、どれだけアイツがアキちゃんと呼んでくれと言ったところで、徹頭徹尾ガン無視して、アキラ呼びを続けてきた。
だのに今回のメッセージときたらどうだ。
『いつもおおきに! アキちゃんより』と書かれている。
そのせいで狂った。
どう受け取っていいかわからない。
メールにはいつも自分の住所を書いていたから、アキちゃんが自分の宛先を知っていてもおかしくない。
茶円アキラだって、毎月輪読会でうちに直接来ているんだから住所は分かっている。
問題はこのギフトが、アキちゃんからなのか、アキラなのかだ。
分かっている、すべては方便だ。どっちから届いたところで送り元はアイツの自宅住所だ。
だからこんなアホらしいことで悩むの自体アホくさと分かっていても、自分の心というのはままならないもので、気がつくとまた空っぽになったチョコレートボックスへ視線を向けてしまっている。
「う゛ぁあああ゛……………あぁ゛……も………………堪忍して……………………」
低空飛行のうめきを上げていると、祖母が声をかけてきた。
聞けば、教室の生徒さんにお出しする紅茶を切らしてしまったらしく、買い出しに行ってきてほしいという。
「えぇよ」
と請け合って、家を出た。
あのまま書斎にこもっていたら発狂していた。ちょうどいい助け船だ。察しの良い祖母はきっと、それを見越して声をかけてきたんだろう。
(まぁ知らんけど。……あ、せや。ついでにお茶請け買うて、猫ちゃん会うてから帰ろ……)
ブラブラと、気晴らしがてら適当に歩く。
道中、嫌でもホワイトデーのポスターが目についた。
(あー。うっとうし……なんやねん、急に……)
いや。きっと去年も一昨年も、このポスターは同じ場所に貼られていた。
今になってやかましく感じるのは、きっと、脳のホワイトデー占有率が上がってしまっているせいだ。
いよいよ逃げ場がないのを感じる。
返礼を無視するなんてことはあり得なかった。この三条ユウヤのプライドが、そんな無礼は許さない。
(けど……今更、何から、ありがとうて、言ったらええんやろ)
ふと、足が止まった。
きちんと見つめるには、あまりに大きすぎて、これまで無視してきた感情があった。
だけど、ここまで追い詰められたら、嫌がおうにも、目に入ってくる。
(言いたいこと、なら……感謝なら、ほんまは、ぎょうさん……あって……)
たとえば、個展を開くたび、見に来てくれたこと。
スランプ気味になったとき、ちょっとしたお出かけに連れ出してくれたこと。
つっけんどんな物言いでも、分かってくれること。
心が折れそうになったあの夜。
何気ないラジオの一言で、救ってくれたこと。
アキラは、良い奴だ。
感謝しないポイントを見つける方が難しい。難癖をつける方が、どうかしている。
(……分かっとんねん、そないなこと)
なのに、面と向き合うと、何も言えなくなる。
それは。
(あー……あかん。悪い方向入る……)
思考がゴロゴロと転がり出す。直視しないようにしていた感情が、頭をもたげてくる。
本当は、茶円アキラが、眩しくて、羨ましくて、仕方ないのだ。
アキラは、自分の人生を歩んでいる。
誰に言われるでも、何に縛られるでもなく、自分が進みたい方向に、堂々と一歩踏み出して、歩いて行く。
きっと、本来なら苦しい道だろう。現に我が道を行くシュウは苦しんでいる。
なのに、アキラは、笑っている。朗らかに、楽しそうに、生きている。
それを見るたび、もがき苦しむ自分が、ダメに思えて仕方が無い。
(……だって、俺は……俺は……)
血をたまたま継いだだけの、空っぽな存在。器だけの、空虚なもの。
所詮偽物なのを、アキラを見るたび、思い知らされる。
職業も、生き方も、価値観も違うから、この違いは当然だと分かっていても、割り切れない。
(……あー、アカン。これBAD入ってまうわ。やめやめ)
思考を無理やり切って我に返ると、いつの間にか、よく知った猫カフェの前に来ていた。
(お猫さまでも拝んで帰ろ……。気持ちも少しは落ち着くかも知れへん)
猫カフェに入ると、顔見知りの店員が「あぁ、いらっしゃい」と声をかけてきた。
「今、ホワイトデーキャンペーン中なんですよ。良かったらどうぞ」
「へぇ?」
見ると、買ったクッキーの一部が、猫の活動支援のための寄付金になるキャンペーンをやっているらしい。
これでいい、と思った。
これぐらいが、ちょうど良い。
(……これ以上考えすぎると、頭ン中ジャムみたいになってまうしな)
「ほな、2コもらえます?」
「はい、じゃあお帰りの時の会計時に、いっしょにお渡ししますね」
「おおきにありがとうございます」
そう声をかけて、ソファに座る。
お猫さまがのっさりと膝に座ってくれるのを撫でていると、だんだん、心が落ち着いてきた。
(シュウと、アキラと、まとめてついででえぇわ。いつも輪読会おおきに、の、そういうご縁で……。輪読会の時にまとめて渡せば、それでええやんな)
心が凪ぐまで、お猫さまの顎をなで続ける。
ゴロゴロと鳴くその姿は泰平そのもので、眺めるうち、心の濁りも溶けていった。
著:佐久田 葉