2026.03.25
【バイスタンダーエピソード】『パンドラ』

カナメさんは、びっくり箱みたいな人だ。
何も知らなければ、綺麗に整った箱に見えるし、ただ置かれていれば害はない。でもホントはとんでもないものを隠し持っていて、周りを混乱させたくて仕方ない。
もちろん僕も、カナメさんがそんな人だなんて最初は気付いてなかった。高校に進学するときにパパが自分の秘書の中から一番若い人を僕に譲った。それがカナメさんだった。
第一印象は、四角四面の丁寧な大人、だった。
「初めまして、坊っちゃん。どうぞよろしくお願いしますね」
と頭を下げてきた彼は、確かに品良いしっかりした大人に見えたけど、どこか退屈そうにも見えた。
カナメさんは、親元を離れて初めての生活は不安だろうけどちゃんとサポートするから安心してほしい、といった旨の挨拶をした。細かい言い回しは覚えてないけど、その口ぶりには、僕を箱入り息子の坊っちゃんだと思っているのが透けていた。負けるもんか! と思って、その日から、一人称を俺に変えた。
しばらくの間、カナメさんは実直に、勤勉に、僕の身の回りの世話をしていた。プロシェフばりの腕前でご飯を支度してくれたり、家庭教師のように勉強を教えてくれたり、とにかくこまごまと僕の学生生活をサポートし、どんな無茶振りにも完璧に応えきった。
でもカナメさんは、いつだって退屈そうだった。大人の人生は、よっぽどつまらないらしい。こんなに能力の高い人でも、大人になって社会の枠にはめられたら、こんな死んだ顔で生きることになってしまう。
いや、僕だってそうだ。僕はただ、親の決めた進路と、学校の組んだカリキュラムと、カナメさんのガイドに従って生きるだけで、完璧に枠にはめられてる。
気付いた途端、全部がすごくつまらなくなった。だってこれじゃ、今ここに生きるのは僕じゃなくたっていい。誰のものでもいい人生を、僕がやる意味は無い。
じっとしていられなくなった。一刻も早く、逃げださなきゃ。
どうせなら生きるなら、大冒険したい。退屈に生きる大人になってしまう前に、僕は何か成し遂げたい。
僕は、脱走を企てた。カナメさんの目を盗んで、一人で遠くに行こうとした。
その結果は惨憺たるもので、ボロボロになった僕はすぐ、カナメさんに回収された。
けどその時、初めて、カナメさんの心が見えた気がした。
カナメさんは最初、いつもの丁寧なサポートぶりで僕を励ましてくれていた。自信を持てば大丈夫とか、何者かにちゃんとなれる、とか。
だけどその言葉の最後に、こう付け加えた。
「何者かになろうとするあなたを、私は応援します。……それが一番、楽しそうなので」
その笑顔を見て、ギョッとした。
にっこりと微笑んだカナメさんの目に、光はなかった。いつもの取り繕った親切さの代わりに、享楽のためなら何だってやるような、危うさがあった。
びっくり箱が開いて、カナメさんの本性が見えた、と思った。
それからも、カナメさんは粛々と僕の身の回りの世話をしている。僕はいつこのびっくり箱がまた開くのか、ずっと、ドキドキしている。
この箱が開くときはきっと、なにかとんでもないことが起きてしまう時だから。
著:佐久田 葉