2026.05.25
【ブックマークエピソード】憧勇

【憧勇】-ショウユウ-
よわきものは、勇ましきものに憧れる
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遠い記憶が、ぽこり、ぽこりと。
水中から泡が立ち上るように、記憶の奥から沸き上がる。
最初によぎったのは、失望を滲ませた母親という人の言葉。
「……あぁ、がっかりだわ。あなたもお兄ちゃんみたいになれると思ってたのに」
血の繋がった大人たちからの、最初で最後の期待を裏切ってしまったのだと理解できたのは、幼稚園の入園式でだった。
有名幼稚園の受験に失敗したボクを、彼らはこのとき既に、見限っていたんだと思う。もっとも、彼らは対面を気にする人たちだったから、人前でボクを軽んじるような態度は取らなかった。
それでも、僕の入園式の写真は、どこにもなかった。
入園式だけじゃない。入学式も、卒業式も。家にある写真は、兄に当たる人のものばかりだった。
家族で過ごす時間は、いつも、彼を中心に回っていて、ボクは誰の目にも映っていないようだった。
ボクの居場所なんてない。
ボクのいる意味なんて、価値なんて、どこにもない。
ボクは、一人の時間を本に没頭して過ごすようになった。
英雄の物語が、好きだった。
物語の主人公は、悪いドラゴンをやっつけて、村に平和をもたらし、英雄になる。
人の役に立って、誰からも愛される。
もしかして、と思った。
ボクが英雄のようになれたら、彼らだって、ボクを愛してくれるのかもしれない。
今は何の取り柄もないボクだけど、主人公たちのように、何かを為し遂げて、役に立てるって分かってもらえれば、きっと、ボクも。
あの人たちと、家族に、なれるんじゃないかと、思った。
ボクは本の英雄たちのように、善いことをたくさんした。
勉強も、運動も、一生懸命、頑張った。
でも、どれ一つ、兄に当たる人には遠く及ばなかった。
「お前ホントにバカだよな」
ある日、彼はボクを、鼻で笑った。
そしてボクを、ベランダに引きずっていった。
やめてと叫ぶボクの言葉を聞かず、彼は、ボクをベランダのフチに立たせた。
「怖いか?」
そう尋ねる声は、ボクをからかっているようだった。
「こわい……です……」
答えるボクの声は、小さく震えていた。
声だけじゃなくて、手も足も、ガタガタみっともなく震えていた。
「だろ? だからお前は英雄になれないんだよ」
「……え」
「お前の憧れる勇者ってのは、勇気があるんだ。でもお前には、勇気がない。だから結局憧れてまねしても、中身はずーっと弱虫でグズのナオのままなんだ」
頭の奥が、真っ白になった。
ボクが弱虫だから。
ボクに勇気がないから。
だからボクは、このまま一生、愛されない。
「……ボク、は……」
「お前の憧れる勇者みたいに、空でも飛んでみろよ。そしたら本物だって認めてやるよ」
何も言えなかった。
彼はボクをせせら笑い、ボクを置いて立ち去った。
(……あぁ、そうだ)
ボクは、あのとき飛べなくて。
結局、勇者になんて、なれなくて。
でも、今は。
今度こそ、ボクは。
(……あれ)
なんで、こんなこと、思い出すんだっけ。
生まれてからの、ずっと、辛い記憶。ボクの、生きてきた日々を。
(そうだ、走馬灯だ)
(だって、ボクは、今度こそ、飛んだんだから)
そう思った瞬間、ボクの身体は、土にたたきつけられた。
病院にやってきた彼らは、ひどく青ざめていた。
外聞を気にする彼らにとって、ボクの自殺未遂とも取れる行動は、よほど衝撃だったらしい。
外部の人がいない場所で、ボクは散々になじられた。
心はとっくに、凪いでいた。
こんな自分に居場所がないことを、ボクはもう、受け入れていた。
彼らの罵倒を聞きながら、病院の窓の外を眺める。
ボクが飛べなかった空は、どこまでも透き通って、綺麗だった。
著:佐久田 葉