2026.07.22
【#日陽里ナギト生誕祭2026】波の音

いつも通りの飲み会で、4軒目に向かってぶらぶら移動していると、不意にナギトのスマホがけたたましく鳴り響いた。
「お?」
ナギトはポケットからスマホを取り出した。
複数のSNSから、押し寄せるように通知が届いている。
「何だ、なんかあったか?」
見るからに非常事態の通知に面食らっている俺と対照的に、ナギトはほのぼのと笑った。
「全然大丈夫。毎年こんな感じだよ〜」
「毎年?」
ナギトは、酔っ払って緩んだ頬を、さらに緩めてほにゃりと微笑んだ。
「俺ね〜、今日誕生日なんだ〜」
「えっ」
時計を見ると、0時ちょうどだった。
「あ。お店行く前に、家族にはお返事してもいい?」
「おー……そりゃ別にいいけどよ……」
ナギトは道のベンチに腰掛けて、ぽちぽちとスマホをいじる。
待っている間近くのコンビニで2人分の小ペットボトルの水を買い、ナギトの隣に腰掛けて
「いや、言えよ!」
思わず突っ込んだ。
「え?」
「今日会ったときに一言ぐらい言えよ!? どうせ今回だって2時過ぎぐらいに解散になんの分かってただろ!? 俺確実にお前の誕生日に居合わせるだろうが!?」
「あ、そっか。飲み会の日付ばっか見ちゃってた」
今度は俺のスマホが鳴った。
お袋からメッセージだ。
「あん?」
文面を見る。
メッセージには動画が添付されていて、俺の妹と弟が映っていた。
『今日 ナギトお兄ちゃん たんじょう日だから おめでとうって 代わりに言ってね』
『いつも あそんでくれて ありがとう』
妹と弟がぺこりと画面に向かって頭を下げて、こっちへ手を振る。
母からは「これナギトくんに送っておいてね」と一言添えられていた。
「……何で俺の家族が知ってて俺が知らねえんだよ」
「不思議だねぇ」
「いや俺が聞いてんだよ。俺だけ祝いそびれてんじゃねえか」
ナギトはきょとんと首を傾げた。
「でもさ、ほら。さっきのお店で、俺デザートにケーキ食べたじゃん?」
「え、あ、おう?」
「あのお店の会計、タケちゃん持ちだったし。あれ一足早いバースデーケーキってことで、バッチリだよ」
「いや怖えよ、相手も知らんうちにちゃっかりプレゼントもらってんじゃねぇよ……」
いい年した男が誕生日プレゼントを贈り合うのもどうかとは思うが、相手の誕生日だと知った上で手ぶらで顔をつきあわせるのも、それはそれで違うだろうと思う。
「タケちゃん、またなんか考えすぎてない?」
「うるせぇなぁ」
水を飲み干して、ベンチから立ち上がる。
「お前なんか食いてえもんとか行きてえとこある?」
切り替えて声をかけると、ナギトは「うーん」と顎に手を当てた。
「タケちゃんのオススメいつも大体美味しいからな〜……。今、これといっては出てこないかも」
「そうか」
「お腹は結構膨れてきちゃってるから……一回食休み挟みたいかも。公園でぶらぶらとか?」
「あー……」
それなら、と、頭の中に地図を描き直す。この街を隅々まで知りつくしてなきゃ、帯刀するに値しない。
「ならまぁ、お前が好きそうな公園あるわ」
と声をかけて、ひょいと立ち上がった。
「いろんなヤツが音楽やってるとこ。割と有名だから、お前も知ってるかもだけど」
「ホント!」
ナギトは嬉しそうについてきた。
夜の公園には、街の喧騒に紛れて音楽が満ちていた。
コピーバンドの大学生から、サックス吹きまで。ストリートミュージシャンが、ぱらぱらとパフォーマンスを披露していて、小銭を稼いでいる。
とあるパフォーマンスの前で、ナギトはぴたりと足を止めた。
「ん?」
そのパフォーマーは、馬鹿でかい円盤のような金属を抱えていた。
それを軽く叩くことで、ほわほわと反響する柔らかな音色を奏でている。
「わぁ……」
ナギトは嬉しそうに歓声を上げた。
「あれ、タングドラムだよタケちゃん! 俺も欲しいな〜と思ってたんだけど……」
「へー。お前楽器もやるんだっけ?」
「好きなんだよね〜、音が出るの」
ナギトはパフォーマーの前で座って、夢中で聞き入っていた。
不意に、パフォーマーが顔を上げて、ナギトを見る。
「よかったら、こっちの小さいの、触ってみます?」
「え、いいんですか?」
「どうぞどうぞ。工房の宣伝でやってるので……」
そう言ってパフォーマーは、ナギトに手のひらサイズのタングドラムを渡した。
ナギトがぽーんと、軽く音を出す。
途端、目つきが変わったのが分かった。
いつもほわほわと漂っているナギトの気配が、さらに揺らぐ感覚。
どこか遠く、遙か彼方の何かと響き合うような、ここじゃないどこかへ、たゆたっていくような感覚。
「ナギト?」
思わず声をかけると、ナギトはきょとんとしてこっちを見た。
「なぁに、タケちゃん」
それで、まぁ、考えすぎかと思い直す。
「ね、タケちゃん。俺歌っていいかな。なんかすごい気分いいかも」
「大声出しすぎるなよ?」
「はーい」
ナギトはこくりと頷いて、タングドラムを奏でながら、聞いたことのない言葉で歌い始めた。
脳裏に、ほのかな燐光を帯びた海が浮かんだ。
波の音が聞こえるような錯覚がある。
気がつけば、夜の海に立っていた。
月が沈んだ波の向こう、海の彼方へ。
自然と自分の足が出る。
ざぶりと海へ一歩、また一歩と、踏み出していく。
腰まで浸かって、肩まで浸かって、それでもなおその先へ行きたいと、海へ全てを委ねたくなる衝動に駆られたところで、はっと我に返った。
俺の足は、何の変哲もないコンクリートを踏みしめていた。
ナギトの音楽の世界に、没頭してしまっていたのだろうか。
軽く頬を叩いて、正気を取り戻す。
パフォーマーの方はといえば、ナギトに向かって、のんきにパチパチと拍手していた。
「すごいですね、お兄さん。タングドラムやったことあるんです?」
「や、全然ですよ〜。この楽器がすごい良かったから、ついつい夢中になっちゃいました」
照れたように笑うナギトは、いつもの調子に戻っていた。
俺だけが見た幻だったらしい。
「これすごいイイなぁ。俺買っちゃおうかな」
こっちの気も知らず、ナギトはごそごそとポケットをまさぐって財布を探していた。
その肩を、ぽんと叩く。
「買ってやるよ」
「え、いいの!?」
「誕生日なんだろ。いいから」
「楽器って結構するよ!? ホントに大丈夫!?」
「しつこいな、出した財布引っ込めさせんな」
パフォーマーは、比較的良心的な値段を告げた。
入門用楽器ということで、値段も手頃なのだろう。
「えへへ……ありがとね、タケちゃん」
「おう」
ナギトはタングドラムを受け取り、幸せそうに微笑んでいる。
その姿を見て、つい、声をかける。
「……なぁ」
「ん?」
海の向こうに消えちまったりしねえよな? と、口に出すのは、妙にしみったれで自分らしくない気がした。
それよりほしいのは、もっと強固な、今ここに生きている実感だ。
「濃いめのラーメン食いてぇ。そろそろ行こうぜ」
だから、なんてことない言葉を選んだ。
著:佐久田 葉
イラスト:青猫